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投稿者:カトちゃん
題名:来年度もビリーブをよろしくお願いいたします
2月も半ばを過ぎ、ビリーブでは本年度のまとめを行いつつ、徐々に来年度の準備を進めています。
お陰さまで、現在通室しているほとんどのお子さんが、来年度も引き続き来ていただけるとのこと…本当に心より感謝申し上げます。
学校や就学前の場(幼稚園、保育園、通園施設)と違い、ビリーブには前身のNPOの時代から、とても長い期間に渡り通っていただいているお子さんが何人もいます。
ちょっと前まで小学生だったお子さんが、今はもう、特別支援学校の高等部を卒業し、作業所にいきいきと通いながら、ビリーブにも来ていただいている…そういうケースが少なからずあります。
長期にわたってお子さんとかかわり、しかも保護者の方と継続的に発達や就労について一緒に考えていくというのは、本当に素晴らしいことだと思います。
今日も、小学生の、あるお母さんから次のようなお話をいただきました。
「うちの子をこれからもずっと見てくださいね。今何をやればよいのか、課題は何なのか、中学生やもっと大きくなったときのために今どのようなことを大切にすればよいのか、これから将来どのような進路があるのか、その都度相談できるのは、子どものことをとてもよく知っている先生しかいませんよ。」
保護者の方の、このような嬉しいお話しを聞いて、私は改めて、自分の行っている職業の重要性を認識することができました。
保護者の方にとって、一般的なアドバイスを断片的に受けるよりも、自分の子どもをよく知っている専門家から、継続的なアドバイスを受けることの方が、どれほど大きな意味があるか…。
保護者と専門家が一緒になって、今しかできないこと、そして将来のために今何をすればよいのかなど、常にざっくばらんに話し合っていくことが、子どもの成長にとってすごく重要なことだと思うわけです。
そして、そのことを実践するために、ビリーブを立ち上げ、本当によかったと今強く実感しているのです。
微力ではありますが、本年度の残りと来年度以降、多くのお子さんたちのために、全力を尽くしていきたい所存です。
今のところ、空き時間がほとんど作れず、新しい希望者の皆さんには本当にご迷惑をおかけしていることを、心よりお詫び申し上げます。
何とか、授業数が増えるよう、努力していきたいと思っています。
明日もあさっても、子どもたちに会うことが本当に楽しみです。
2011年2月18日
投稿者:カトちゃん
題名:ちょっとした違いに戸惑ってしまうから、「繰り返し学習」は工夫しなければ…
発達に遅れのある子どもたちには「繰り返し学習」が有効だと言われています。
確かにそのとおりなのだと思います。
何度も経験することで、いろいろなことが頭だけでなく、子どもたちの体の中に染み込んでいくのでしょう。
しかし、せっかくの「繰り返し学習」も、度が過ぎると、学んだことをパターン化してしまい、ちょっと違うことへの対応が難しくなる(柔軟性が身につかない)というケースが生じてしまう…。
そのことは、多くの子どもたちを見ていて感じることです。
私が教師になりたての頃は(かなり前です)、あちこちで毎日同じことをしている子どもたちで溢れていました。
たし算なら、足し算ばかり。
ビーズ通しならビーズ通しばかり。
1年中、朝マラソン…。
それらの多くは、意味のあることなのでしょうが、今考えると、同じことばかりではなく、もう少し種類を増やせばよかったな〜と反省することしきり。
繰り返しにより、確かに一つのことのスキルはアップしてきますが、ややもすると、そこで止まってしまうことが多い・・・すなわち、なかなかそこから発展できないというケースが見られるのです。
つい最近も、学校で10を超えるたし算、ひき算をかなりの月日をかけて勉強した子が、10の補数を聞くとなかなかわからなかったというケースに出合いました。
「3といくつで10かな?」
「う〜ん・・・」
積木を10のマス目に置く具体的操作によって何とかわかるようになって、先ほどの質問にすらすら答えられるようになったあと、今度は次のような遊びを行いました。
1から5までのカードをたくさん裏返して置き、カードをめくっていって、合わせて5になったらカードをもらえる、という数の神経衰弱遊びです。
前述の子は、最初に3のカードが出たら、すぐに次に2が出ればよいということを口にし、一生懸命カードをめくっていました。
しかしです。
最初に1が出て、次に2が出ると、5までの補数(あといくつで5になるか=2)が最後までわからなかったのです。
5−2ならすぐにわかっても、5−(1+2)になると、全然わからなくなってしまったのです。
このように、数はいろいろな形で操作することができます。
しかも、このような操作こそが、実は本当の意味で役立つ力につながることが多いのだと思います。
そして、そのような柔軟な理解力を身につけるためには、紙の上で計算問題(類題)をいくら解いても難しいわけで、だからこそ、一つのことができたら、そこに留まらず、ゲームや遊びや教材を使って、いろいろな角度から追求していくことが大切なのだと考えます。
このことは算数に限らず、すべての学習に共通していることなのでしょう。
本当に学ぶということは奥が深いのですね。
だからこそ、指導者は留まることなしに、常に教材作りを行っていかなければならないのだと、自分自身肝に銘じている次第です。
2011年2月13日
投稿者:カトちゃん
題名:耳ふさぎをするのは、音楽が嫌いだからって言うけれど…
子どもとかかわる専門家の人たちの中で、よく「耳ふさぎをする子は音楽が嫌いだから…」という話を聞くことがあります。
先日も音楽療法を専門にしている人が、「○○ちゃんは音楽が嫌いだから。だって耳ふさぎをするんだもの」と自信たっぷりに語っていました。
本当にそうでしょうか?
私の経験では、耳ふさぎをする子は音楽が好きな子が多い…しかも、あまりに好き過ぎて、音やメロディ、リズムに敏感過ぎるゆえに、耳ふさぎをしながら音量を微妙に調整していることが多い…というのが偽らざる実感です。
その証拠に、もしその子たちが本当に音楽を嫌いならば、自分たちが出した音に対しても嫌悪感を示し、あるいは逃げ出してしまうはずです。
しかしながら、耳ふさぎをしている子は、例えば、自分でシンバルやスネアドラムを叩くと、大音量にもかかわらず、満足そうに叩き続けていることが多いのです。
ある場面で、耳ふさぎをする子がいたとします。
その子が聴いている音や音楽の音量を下げ、ごく小さい音から提供してくと、耳ふさぎをやめて、じっとその音に聴き入るということが多々見られます。
そのとき、音量だけでなく、楽器の種類も少なくしていきます。
つまり、情報を極力減らしていくわけです。
その音を、急に大きくすると、やはり耳ふさぎをしてしまいますが、そうはせず、小さい音のままでその時間を終わらせていくのです。
次の時間も小さいまま、その次の時間も小さいまま…そして、ある程度月日を経てから、徐々に音を大きくしていきます。
そうすると、どうでしょう。
最初は、耳ふさぎをしていた子が、何でもない顔をして、その音楽を受け入れ、楽しそうに体を揺らしている…。
私はそういう光景を何度も見てきました。
子どもたちは、見たくないものは目を閉じるという方法で防御することができますが、聴きたくないものを防ぐためには「耳ふさぎ」という方法を取らざるを得ません。
しかも、目と違って、耳はどんなに一生懸命閉じても、すべての音をシャットアウトすることは困難です。
つまり、音は暴力にもなりうるのです。
だからこそ、私たちは子どもに音や音楽を提供するときには、極力丁寧さを要求されるわけです。
いきなり大きな音を出したり、大声でしゃべったりしていないか。
常に自問自答しながら、子どもとかかわっていく必要があるのだと思います。
そうすれば、耳ふさぎをしている子を、すぐに「音や音楽が嫌い」と決めつけることはなくなるでしょう。
本当に嫌いなら、その場から逃げ出してしまうはずですから!
2011年2月06日