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投稿者:カトちゃん
題名:柔らかく 『社会性』 を育てる
皆さんは、「社会性を育てる」と聞いて、どんなことを想像しますか。
周りの人とうまくやっていく力、人に合わせる力、社会のルールを守るなど、いろいろな表現ができると思います。
もう大分昔のことでしょうか。
私が現場の教師だったころ、次のようなエピソードを聞いたことがあります。
それは中学校の特別支援学級でのこと。
音楽の授業でカラオケの練習をしながら、1回歌うと必ずやめさせて、次の人に回すよう指導する。
そして、次の人が歌ったら、大袈裟に拍手をするよう声を掛ける。
そのような練習をまじめに取り組んでいたのです。
私はこの指導方法に少し違和感を覚えました。
なぜなら、一番大切なこと、すなわち子どもたち自身の気持ちは一体どうなっているのだろうか、ということです。
やんちゃ盛りの中学生のことです。
1曲歌えば、もう1曲歌いたいと思う子も当然いるでしょう。
次の子になかなか譲れず、すったもんだした挙句に、やっとマイクを渡すという場面もあるでしょう。
私は、そういうプロセスが好きだし、そこでいろいろな交渉がなされることこそが大切だと思っています。
何も考えさせずに、こういうものだと教え込んでも、それでは本物の力は身につきません。
障がいのある子どもたちが、社会で他の人たちと一緒に過ごすことには、いろいろな困難が待ち受けています。
しかし、それは、本人だけが頑張っても難しいのであって、相手も子ども自身を知り、お互いが妥協点を見つけていけばよいのだと思っています。
その際、ほんの少しだけ、相手に合わせる力を持ち合わせていれば、社会で生きやすくなる…
そうです。
ほんの少しでいいのです。
何も「カラオケの順番を譲る」などというものではなく、相手に合わせる力の土台となる「柔軟性」を身につければよいのです。
「柔軟性」は少しの期間で身につけることは難しいものです。
いろいろなことをイメージする力、相手の気持ちを察する力(他者視点)、ちょっと待って考えられる力などを、長い期間かけて身につけていけば、ゆっくりと、確実に身についてきます。
それまで、とてもそっけない絵を描いていた子が、絵の表現が豊かになってくると、相手の気持ちを少しずつ受け止めることができるようになってきます。
あるいは、冗談が理解できるようになると、キレる度合いが大幅に減り、周囲をよく見られるようになるのです。
そういうところに、子どもたちの柔軟性の育ちが表れるのです。
集団場面で、ほんのちょっとだけ、みんなとうまくやっていければ、あとは周りの人が何とかその子に合わせてくれる…。
何もかも、身につける必要はない。
ましてや、その子の考え方を無視して、「1回歌ったら人に譲る」などのパターンを教えることなど決していらない。
私は、そういう子ども像を目指したいと思っています。
追伸です
ここ1〜2か月で、お子さんが数名入室しました。
新たな出会いに感謝申し上げます。
2015年10月19日
投稿者:カトちゃん
題名:子どもに迷惑をかけられたっていいじゃない
今日、新しいお子さんが入会しました。
久しぶりの入会です。
なかなか空きがなく、長い間お待たせしてしまい、申し訳ありません。
今回は、子どもたちが日々いろいろなことをしてくれるというお話を紹介したいと思います。
ある保護者が、次のようなエピソードを話してくれました。
うちの子は、出かけるときに、用意をしないばかりか、すぐに他のことを始めてしまい、結局いつも出発が遅れてしまう…本当に困ったものです…。
お母さんからすれば、いつも大変な思いをされていることでしょう。
それは、実感としてとてもよく理解できることです。
しかし、もし、そのお子さんが、何も手がかからない、何でも言うことを聞いてくれる、素直な子であったとしたら…果たして、それが嬉しいと感じるのでしょうか。
ふと、そんなことを考えてみたのです。
職業柄、いろいろなお子さんとかかわっているためなのか、わかりませんが…。
私は、大人の思い通りにいかないことが、実は子どもにとってよいことだと考えています。
そもそも、臨床は「大人の思い通りにならない」というところからスタートすることが多いのです。
そのため、自分の心の中にクッションのようなものを作って、子どもが一見迷惑な行動をとったとしても、イライラすることはなく、「ふ〜む、そうきたか〜。それは思いつかなかったな〜。なかなかやるな〜」と一度は感心することにしているのです。
そして、その子の行った行動につき合い、その子を追い越さんばかりに盛り上がり、徐々に私のペースにも応じてもらう…。
そういう、お互いがやんちゃになるという相互的なやりとりの中で、子どもとの関係性を深めていくことが、とても大切だと思っているのです。
大抵の場合、子どもは思い通りにはならないのです。
というか、思い通りにさせてはいけないと思うのです。
『学校U』(山田洋次監督)という映画の中で、主人公の先生が、後輩の先生に向かって次のような話をする場面があります。
「われわれ教師は、子どもに迷惑をかけられるためにいるんだよ。それともなにかい?自分に都合のいい子どもを作ろうとでもしているのかい?まさか、優秀な大学を出て教師になったあんたが、そんなことを考えているはずはないよね」
このことばは、私にとっても大きな財産になっています。
教師に限らず、臨床家も親も、子どもにかかわるすべての人にとって、言えること…。
それは、その人たちは子どもに迷惑をかけられるために存在する、ということです。
迷惑を迷惑とも感じず、なかなかやるじゃないかと楽しみながら、子どもと共に過ごしていく…。
ビリーブでは、そのような姿勢をとてもとても大切にしています。
2015年10月01日